子どもたちへ

2021年1月現在 6ヶ月の娘と5歳の父。君に遺したい記憶。言葉を綴ります。本棚の片隅にある日記を見つけたくらいの感じで読んでもらえたら。

2022年12月 コロナ感染。その② 本題。

自分はもうすぐ50歳。

ここにきてのコロナ感染。

幸い軽症で済みそうなんですが、

この療養期間っていろいろなことを考える時間になります。

家族のこと。仕事のこと。自分のこと。

科学的なことはわからないけど、コロナのワクチンの副反応とか

コロナ感染後の後遺症とか、関連は不明とはいえ、コロナ感染後に心臓とか脳の病気で

亡くなっている人がいたりとか。周りから入ってくる情報にはネガティブなものも多い。

どうだろう、30代の頃ならそんなネガティブなこと気にもしないのかな?

でも、50代となった今、やはりこの先に何が起こるかわからないなという感情になる。

そこで考えてみた。今、一番大事なことはなんだろう?

答えは、間違いなく「子どもたち」。

自分がいなくとも「子どもたち」が元気に成長してくれること。

そのための準備はできているか?

精神的なこと、環境のこと、経済的なこと

とりあえずそんなことを気にして考えてみたい。

 

2022年12月 コロナ感染。その①陽性確定まで

またまた久しぶりにこのブログを開く。

このブログを開くときは、必ず何かあったとき。

今回はコロナ感染。陽性確定までを記録がてら書いてみた。

先に長男が感染。

自宅療養に入って4日目の夕方。

あと1日で濃厚接触者の自宅療養終わるなぁというところで、

37.0度。

喉のヘラヘラ感少々。

よくある程度の症状なので、まさかね…という感じで就寝。

でも、寝る頃に微妙な頭痛。熱は37.5度。

朝方、4時からサッカーを見るために起きたら頭痛が悪化。

この時点でまだ半信半疑。

念のため自宅内で隔離。家にあった抗原検査キットを使ってみたが

…「陰性」

しかし、この症状が何かわからなければ出勤もできないため

PCR予約。しかし、混雑のため翌日の検査となった。

そのため、行きつけの病院の発熱外来にて抗原検査。

…「陽性」確定。

長男は感染がわかったあとすぐに自宅内隔離したし、

妻が面倒をみていたので、自分は接触していない。

でも、長男の発症前に濃厚接触していた。

そう考えると、潜伏期間が4日だったのだろう。

やっぱり自宅待機5日って意味あるんだな…とおもった次第です。

 

ひさしぶりに

久しぶりにこのブログを開いた。

きっかけはコロナワクチン。

今日現在元気。

特に持病も疾患もない。

ワクチンは今のところ1度接種済み。

2回めを控えて、万が一、副反応で‥なんて

基本弱気の虫が起きて、もしものために

このブログの在り処を遺しておきたいと

思い、ノートにメモをした。

でも、コロナは本当に怖い。

重症化して、もしそのまま死んでしまうようなことが

あったらと考えると、流石に怖い。

でも、ワクチンもそれなりに怖い。

2回目。熱が出て終わりであればそれでいいけどね。

自分にそんアンラッキーがふりかかることはないと思うけど、

備えあればなんとやら。

今日はそんな気分でPCに向かってみた。

ワクチン接種後に死んでしまうようなことがあってもきっと、

因果関係は認められないんだろうな。意地でも。。

 

15歳の君へ

いよいよ中学校も卒業だね。

おとーさんは、58歳になっているだろう。

うーん。歳だね。

ところで、月並みな言い方だけど、義務教育9年間終了だね。

9年間で、君はどんな風に成長したのだろう?

思春期まっただ中。

反抗期かな?

仲良し親子でいるのかな?

どちらにしても、君が中学校を卒業するということは

親であるおとーさん、おかーさんにとっても一つの区切りでもあるんだ。

これから、君は君が選んだ道を歩いて行くことになる。

親の意見は意見として聞いてもらえたら嬉しいけど、

基本的には、自分で考えて判断して行動することが大切だよ。

おとーさんは、君が高校に行くのなら、どこを選ぶかはできるだけ君の意見を尊重したいと思う。おとーさんと意見が食い違ったのなら、おとーさんを説得できるだけの材料を集めてきてくださいね。

そしてそのときのヒントは、5年先を見ているか、10年先を見ているかということ。

君の人生だから君に選ぶ権利がある。でも、親や先生方も君より先に同じ選択をして、歳をとっているわけだ。だから、年上の人間の言葉はとりあえずは聞いた方がいい。

判断材料はたくさんあった方がいいだろ?

おとーさんを説得できる中学校3年生になっているのなら、ある意味もう心配はいらないな。

自信を持って自分の道を行きなさい。

おとーさんとおかーさんは君の姿をずっと見守っています。

 

おとーさんはFPなんだ⑤

今日はね。

「お小遣い」と「ものを買うこと」について考えてみようね。

君はもうお小遣いをもらっているかな?

毎月かな?

毎週かな?

 

まず、お小遣いは「もらうもの」だよね。

だから、くれる人がいる。

くれる人は親が多いけど、おじいちゃんだったり、おばあちゃんだったり

身近な人が君にくれるのがお小遣いだ。

 

君はそのお小遣いについて、自由に使う権利を持っている。

いっぺんに全部使ってもいいし、

毎月半分使って、残りは貯めてもいい。

毎日決まった額だけ使うっていう手もあるよね。

 

そうやって君は「お小遣い」→「お金」とのつきあい方を少しずつ

勉強していくんだ。

 

お金を使うということは、「買い物」をすることだよね。

欲しいものがあるから「欲しい」し「買いたい」んだよね。

 

お小遣いは自由に使っていいけど、

おとーさんの経験からいうと、欲しいものって、「欲」なんだ。

だから、欲しくなると無性にほしくなる。

どーしても欲しくなる。

でも、買ってしまったら、とたんに買ったもののキラメキがなくなっちゃう。

そんなことがたくさんありました。

 

それは、つまり、「モノが欲しい」のではく、「モノを買いたい」という

気持ちが強いということなんだ。

 

「モノを買う」という行為によって幸福感を得る。

だから、買ったときが幸福感MAXとなる。

 

それってちょっと悲しいよね。

 

だから、欲しいものがあるときはよく考えて。

本当に欲しいの?

それとも…?

おとーさんにとって

今日、仕事でとてもイライラする出来事があったんだ。

でも、おうちに帰ってからくると、いつもと同じく、元気に「おかえり〜」と駆け寄ってくる君がいる。

まだお話は出来ないけど、ニコニコ笑顔で迎えてくれる君もいる。

二人の存在はおとーさんにとって、ホントにかけがえのないものです。

おとーさんが君たちにしてあげられることは何かな。二人が笑顔で過ごせるように、おとーさんも笑っていることかな。

仕事で疲れても、嫌なことがあっても、君たちの前では笑っていたい。

きっとできるよ。

だって二人はおとーさんにとって

元気の素だからね。

 

 

14歳の君へ②

最近、よく「教養」という言葉を聞くんだ。

教養…

おとーさん世代は「一般教養」っていう言葉がなじみ深いんだけど。

近頃は、小学生も教養を身につけた方がいいらしい。

 

それで、ちょっとおとーさんなりに考えてみたんだけどね。

 

昔、情報がテレビや雑誌しかなかった頃は、

家族と共通の話題としてテレビの番組の話題やニュース、新聞の話題があったと

思うんだ。

でも、インターネットが一人一人のパーソナルなものになったことで、

一人一人、興味がある情報だけを取捨選択するようになっているんだと思う。

 

小学生だって、やれ習い事だ、塾だと忙しければ、家族との会話は必然的に減るよね。

そうすれば、親の仕事の話だって聞くことなんてないだろうし、大人の会話の中に子どもが交ざることも少なくなる。

いわゆる「雑学」として「知っている」知識が少なくなっているんじゃないだろうか?

 

だから、あらためて「教養」を身につける必要があるんじゃないのだろうか?

でも、おとーさんは思う。「雑学」としての「教養」は大事だ。

知らなくてもいいことも多いかもしれないけど、知っているに越したことはないことは

たくさんある。

 

おとーさんは君といろんな話がしたい。

別に堅っ苦しい話だけじゃなくていいから、

あーでもない、こーでもないと君と話せたら嬉しいな。

 

親としゃべる時間なんてないかもしれないけど、

いっぱいしゃべろうぜ。

な。